靴下ババアに花束を

(題名の元ネタが古くてごめんなさいw)



生後4ヶ月になる次男といると彼はマダム(おばちゃん)ホイホイと化すので、買い物してるとかなりの確率で話しかけられたり触られたりする。

第二子である娘を産んだ時まではそれが嫌だった。
嫌だけどとっさに断りの言葉も出ないし、何せ赤ちゃんハンターとなってるマダム達の動きは剣士の様に素早い。

ニコニコしながら、「触ってもいいね〜?」と聞かれると嫌と言えない。
もう既に手は我が子に伸びてきているし、それはこちらがイエスという前提の質問である事が大抵なのだ。


そんなわけで私は心の中で舌打ちをし、「さわんじゃねーよババア」という暴言を飲み込みながら、大してうまくもない作り笑いをして我が子を触らせたりしていた。

それは妊娠中も時々起こり得る事象で、その時も嫌だなぁと思いつつ触らせていた。


私や我が子に声をかけてくる人達は100%好意しかなくて、嫌がらせや意地悪を言われた事は一回もない。

だからと言って好意は受け取らなければならないものではないし、別に断っても良かったのだけど、二度と会わないであろうその人達とのほんの一瞬しか共有しない空間に私は忖度したのだ。
心の中で舌打ちしながら(2回目)。

嫌なのに断れない自分にもイラつくし、断ったらそれはそれで自分が冷たい人間だと再認識するようで、どちらを選択すれば良いのか全く分からなかった。


ところが第三子の次男を出産したら、どーぞどーぞ!!という気持ちになったから不思議だ。

巷で噂される靴下ババアに我が子の足を心配されても気にならない。
(靴下ババアとは…赤ちゃんの裸足を気にして突然話しかけてくる見ず知らずのマダム)



上の2人を育てる6年間でじわじわ感じてた事がある。


私達は自分の想像よりもたくさんの愛に囲まれてる。



本人は覚えてないだけで、産まれた時はきっとたくさんの人が喜んでくれて気にしてくれていたはず。


ただ黙って見守ってくれる存在の人は数えきれないくらい居ると思う。


私が今そうだから分かる。


話しかけなくても、名前を知らなくても、気にかけてる子ども達はたくさん居る。
子どものクラスメイト達はみんな可愛いし、元気に育ってほしいと思ってる。

まだ幼い子ども達は友達の親の事なんて気にならないし自分も実際そうだったけど、
今はたくさんの大人達が愛を持って接して守っていてくれたんだと分かった。

見えてなかった愛に気付けた。


そしたら赤ちゃんハンターのマダム達にもありがたいような気持ちさえ芽生えてきた。
あぁ敵じゃなかったんだねとチカラが抜けた感じ。

息子にも、あなたはたくさんの人に祝福されて可愛がられてるんだよ〜と伝えられると思えた。


見ず知らずの人からの愛情も受け取れるようになって、心の受け皿がぐーーっと拡大されてる気がしてる。


これからもっと大きな愛に気付くんだろう。


もちろん受け取るかどうかは人それぞれ自由だけど、私は今受け取りたい気分だからそうしている。


今日も靴下ババアに遭遇しそうな予感がするけど、ありがとうと伝えることにする。


ふとブログ @沖縄

ふと感じたこと、考えたこと、思いついたこと。 『人生は実験』を実践する。

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