流木はそれを好きな人にあげよう

公平にこだわりすぎるとつまらなくない? 

そもそも公平ってなんだろ。
完全な公平って無いと思うの。


同じお金、場所、経験を与えたとしても。
人が違えば受け取る内容も変わるもの。
感じ方は人それぞれで千差万別だから。


海に流れ着いた流木に見向きもしない人もいれば、お金に代えられない価値を見出す人もいる。

公平ってその見向きもしてない人にも無理やり同じ大きさの流木を掴ませるような感覚。笑



流木にときめいてない人に、要る??笑



もしときめいてないのに、隣の人が流木にめっっっちゃ興奮してたとして。

自分には分からないけど何やら価値がありそうだから…同じ流木をください!!ってなってる時って

『損したくない』

が発動してると思ったの。



隣の人だけが喜んでいたり得をしているように見えた時に、相対的に自分が損をしてると感じてる。けどそれは錯覚。
自分の立ち位置は1ミリも変わってない。


『この人ばっかりずるい…!!』

って思ってない?



人間関係がエネルギーの交換と例えたら、相手からどんなエネルギーを受け取るかって重要だと思うの。
 
その前段階で自分が相手に対してどんなエネルギー放つかだよね。



流木はそれを好きな人にあげよう。

自分にとって無価値なものでも、その人なら幸せな時間と幸せなエネルギーに変換してくれるだろうから。


周りに幸せな人がたくさん居た方が自分も幸せだよ。


ふとブログ @沖縄

ふと感じたこと、考えたこと、思いついたこと。 『人生は実験』を実践する。

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